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【太政官制】『律令』から見る朝廷の仕組み 第1回 神祇官【日本古代史】

 

はじめに

現代の日本では、日本の国政を担う政府機関にいわゆる官僚や国家公務員たちが勤めています。

日本古代における日本でも、朝廷には「官人」と呼ばれる人たちが天皇の身の回りの給仕から国政の事務に至るまで幅広い実務を行うために仕えていました。

今回はそんな奈良時代の官人の勤務にフォーカスして、朝廷がどのような組織で構成され、どんな仕事をしていたのか、『養老律令』を読みながら見ていきたいと思います。

全部で12回に分けて、古代朝廷の太政官制

の解説をしていきたいと思います。

今回は第1回目として神祇官を扱います。

古代日本の朝廷の構造

古代日本の政治制度は二官八省一台五衛府と呼ばれ、神祇官太政官の二官、中務省式部省兵部省などの八省、弾正台の一台、左右兵衛府などの五衛府から成っていました。

それぞれの定員や職務内容については、『養老律令』の職員令に規定があります。

ちなみに、律令は音読みを呉音で読むため、「職員令」は「しきいんりょう」と読みます。これを、漢音で「しょくいんれい」と読むと、唐で施行されていた律令の職員令のことを指します。

また、『大宝律令』では職員令は官員令と呼ばれていました。

官人たちは、この規定に基づいて多様な役職に任命され、それぞれの仕事を内裏で行っていました。

職員令1 神祇官条に見える神祇官の概要

神祇官の職務や定員については、『養老令』職員令1の神祇官条に規定があります。

神祇官条 本文

神祇官
伯一人。掌、神祇祭祀、祝部神戸名籍、大嘗、鎮魂、御巫、卜兆、惣判官事。余長官判事准此。大副一人。掌同伯。余次官不注職掌者、掌同長官。少副一人。掌同大副。大祐一人。掌、糺判官内、審署文案、勾稽失、知宿直。余判官准此。少祐一人。掌同大祐。大史一人。掌、受事上抄、勘署文案、検出稽失、読申公文。余主典准此。少史一人。掌同大史。神部卅人。卜部廿人。使部卅人。直丁二人。

 

神祇官条 書き下し

神祇官
伯一人。掌らむこと、神祇の祭祀、祝部・神戸の名籍、大嘗、鎮魂、御巫、卜に兆みむこと、官の事を惣べ判らむこと。余の長官事判らむこと、此に准へよ。大副一人。掌らむこと伯に同じ。余の次官職掌注さざるは、掌らむこと長官に同じ。少副一人。掌らむこと大副に同じ。大祐一人。掌らむこと、官内を糺し判らむこと、文案を審署し、稽失を勾へ、宿直を知らむこと。余の判官此に准へよ。少祐一人。掌らむこと大祐に同じ。大史一人。掌らむこと、事を受りて上抄せむこと、文案を勘署し、稽失を検へ出し、公文読み申さむこと。余の主典此に准へよ。少史一人。掌らむこと大史に同じ。神部卅人。卜部廿人。使部卅人。直丁二人。

神祇官の定員

まず神祇官の定員は、四等官では長官の伯が一人、次官の副が大副、少副それぞれ一人、判官の大祐、少祐それぞれ一人、主典の大史、少史それぞれ一人となっています。

その他に、神事全般を行う神部30人、太占などの占いを行う卜部20人、雑用係の使部30人と直丁2人が定員として規定されています。

「部」というのは、世襲で様々な専門的な職務を担当する集団のことを指します。

直丁は全国から貢上された仕丁が当てられます。

 

神祇官職掌

次に、神祇官条に沿って各官の職掌を見ていきます。

1、伯、大副、少副

まず、伯の職掌は「神祇の祭祀、祝部・神戸の名籍、大嘗、鎮魂、御巫、卜に兆みむこと、官の事を惣べ判らむこと」とあります。

「神祇の祭祀」とは、天の神様である天神と、地上の神様である地祇を祀ることです。それらの祭祀は公的祭祀の祈年祭神嘗祭などで、他にも季節ごとの祭りが神祇令に規定されています。

「祝部・神戸の名籍」とは、全国の官社に所属する民である神戸の戸籍と神戸から選ばれる下級神職である祝部の名帳を管理することを指します。

「大嘗、鎮魂」とは、神祇令に規定がある祭祀の一種で、大嘗祭天皇が即位後に初めて行う新嘗祭を、鎮魂祭は天皇の魂が体から離れないようにするための祭りを指します。

神祇官条にこれら二祭が特記された理由を『令義解』では、それらが祭祀の中で最も重要なものであったからであるとしています。

「御巫、卜に兆みむこと」は、解釈が分かれますが、今回参考にした日本思想大系の『律令』では巫女である御巫が天皇中宮の息災を祈ることと神託を告げることを、伯(長官)が監督することであると解釈しているようです。

「官の事を惣べ判らむこと」とは、官(神祇官)の諸事を決裁することを指しています。

大副の職掌は、「掌らむこと伯に同じ」とあり、少副も「掌らむこと大副に同じ」とあり、神祇官では次官の大副・少副の職掌は長官の伯と同じであるとしています。

2、大祐、少祐

大祐の職掌は、「官内を糺し判らむこと、文案を審署し、稽失を勾へ、宿直を知らむこと」とあります。

「官内を糺し判らむこと」とは、官内における非違を糾弾し、その決裁に関与することを指します。

「文案を審署」とは、主典が作成した文書の草案を審査して署名することを指します。

「稽失を勾へ、宿直を知らむこと」とは、主典が検出した公務の遅れや文書の誤りを判断し、宿直の割り当てを把握することを指します。

「稽」の字には「留まる」という意味があり、「失」には「見逃す」「間違える」という意味があり、上のような解釈になります。

少祐の職掌は「掌らむこと大祐に同じ」とあり、大判官である大祐と同じであるとしています。

3、大史、少史

大史の職掌は、「掌らむこと、事を受りて上抄せむこと、文案を勘署し、稽失を検へ出し、公文読み申さむこと」とあります。

「事を受りて上抄せむこと」とは、授受した文書を記録することを指します。

「文案を勘署し」とは、文書の草案を考慮、作成し、署名することを指します。

「稽失を検へ出し」とは大祐の部分で述べた、「稽失」、公務の遅れと文書の誤りを検出することを指します。

主典である大史は遅れや誤りは指摘するだけで、判断は判官の大祐が行います。

「公文読み申さむこと」とは、公文書を音読し、申すことを指します。

八世紀ごろの日本では、主典が長官の決裁を仰ぐために、文書自体でやり取りするのではなく、文書を読み上げて、口頭で決裁を行うという「読申公文」という方式がとられていました。

後には、この方式に代わって「申文刺文」という、文刺という棒の先に文書を挟んで長官に渡し、長官は黙読して決裁を行うという方法が主流となっていきます。

少史の職掌は「掌らむこと大史に同じ」とあり、大主典の大史と同じであるとしています。

おわりに

以上が『養老令』職員令に規定される神祇官職掌の概要になります。律令の研究は律令自体が現存していないため、注釈書である『令義解』や『令集解』から本文を復元し、それらの注釈に基づいて行われています。

その為、字義や文意の解釈が研究者によって分かれることが多々あります。

今回の記事は、日本思想大系『律令』を主要参考文献として、筆者が妥当と考える解釈を記したものに他なりません。

ぜひ、ここに書いてあることは参考までにし、これを元にご自身で調べて、より妥当な解釈をご自身なりに見つけていただけたらと思います。

では、次回第二回は太政官職掌についてみていきたいと思います。

 

質問や記事のリクエストがありましたらコメントにてお願いします。

《参考文献》

井上光貞ら編『日本思想大系 律令岩波書店 1973年

石尾芳久『日本古代の天皇制と太政官制度』有斐閣 1962年

吉川真司「申文刺文考 太政官政務体系の再編成について」『日本史研究』382号 日本史研究会 1994年