異文化がもたらした飛鳥文化
なぜ飛鳥?
その名の通り、飛鳥時代は現在の奈良県明日香村周辺の「飛鳥」と呼ばれる地域を中心に仏教をの影響を受けた文化が栄えました。
どうして数ある土地の中から飛鳥が都になったかについては諸説はありますが、蘇我氏の本拠地があったことと関係しているといわれています。
推古天皇が即位したころは、ヤマト政権の政治形態から律令に基づく朝廷の政治形態への過渡期でした。
そのため、ヤマト政権に見られるような大王と有力豪族の連合政権的性格が強く、大王とそれを支持する豪族はにこいちで活動していました。
ゆえに、推古天皇を支持する蘇我氏の本拠地である飛鳥に天皇の宮が置かれたといわれています。そこに様々な施設や人々がくっついて都を形成していきました。
飛鳥文化の特徴
1.氏寺をはじめとする仏教寺院
飛鳥文化の担い手となったのは天皇や豪族などの権力のある人たちでした。その代表的な例が、古墳に代わって氏寺を建てるようになったことです。
それまで古墳の大きさが権威の象徴でしたが、当時の最先端の仏教寺院を建てることが権威の象徴へと変わったのです。
主な氏寺は、蘇我氏の飛鳥寺や舒明天皇の百済大寺、厩戸王の四天王寺、法隆寺などがあります。
また、氏寺の建築様式はそれまでとは異なりました。
それまでは竪穴式住居や高床式倉庫のように地面に柱を突き刺して建てる掘立柱建物がメインでした。
しかし氏寺は礎石というのを用いて建立されました。これは地面に柱を突き刺すのではなく、地中に埋めた礎石という石の上に直接柱を立てる方法です。大陸から伝わりました。
ただ、がっちり地面と固定するのではなく石の凹凸に合わせて木を削って上に乗っけるだけでした。もろく見えますが屋根には瓦を使うので重さである程度固定され、地震の際には揺れることで倒れないつくりになっています。
2.二つの様式の仏像
氏寺が建立されたということは、安置する仏像が必要になります。というわけで、仏像の製造も盛んになりました。
この頃の仏像には北魏様と南梁様の2つの様式がありました。どちらも中国から伝播しました。
北魏様の特徴は、杏仁形(あんにんぎょう)の目と仰月形(ぎょうげっけい)の口です。
杏仁形の目とは上下同じような弧で表現された目のことです。
仰月形の口とは三日月を逆さにしたような形の口で、口角が上がっています。
このため北魏様の仏像は力強いような端正な顔立ちをしています。クールな印象です。下の絵のような感じです。(字が汚いのはスルーで。)ぜひ資料集などで見てみてください。
北魏様の仏像を作った仏師で有名なのが鞍作鳥(くらつくりのとり)です。止利仏師とも呼ばれます。彼は渡来系の人で下の絵で紹介している釈迦三尊像を作りました。
南梁様はこれと対照的に柔らかく丸みのある感じです。服も流れるように緩やかな表現であらわされています。
代表的なのは弥勒菩薩半跏思惟像です。北魏様に比べて柔らかく女性的な表情をしています。ちなみに仏には性別はないそうです。
この2つの様式ともに、口角の上がったにこやかな表情をしています。
この表情をアルカイックスマイルといいます。日本語では古拙(こせつ)の微笑(えみ)というそうです。
アルカイックスマイルはギリシャのアルカイック美術に見られる技法で幸福感を表すといわれています。しかし、これらの仏像のそれとは関連がないとされています。
これは想像ですが、すべてを包み込み、幸福感を与えるような仏のおおらかな表情を追求した結果、自ずとやんわりとした微笑になったのではないでしょうか。人類共通の感覚というやつでしょうか。
3.中国と朝鮮の影響
飛鳥文化の最たる特徴は、中国の文化、朝鮮の文化の影響をダイレクトに受けていることです。他にもシルクロード由来で中国に伝わったギリシャ建築の様式も法隆寺に見られたりします。(そう考えるとアルカイックスマイルとの関連もありそうな気もします。)
朝鮮からは2人の僧がある重要なものを日本に持ってきてくれました。
1人は百済の観勒(かんろく)という僧です。彼は暦法を持ってきてくれました。
もう1人は高句麗の曇徴(どんちょう)という僧です。彼は絵の具、紙、墨のつくり方を伝えてくれました。これにより、日本の大陸文化の共有も進んでいきました。
その他、ササン朝ペルシャの工芸品に見られる獅子狩文様という絵柄が法隆寺の四騎獅子狩文様錦という布の作品にみられたり、忍冬唐草文様というギリシャで用いられた植物の模様が中国、朝鮮を経て、多少の変更が加えられて法隆寺の装飾にみられたりします。
その他の代表的な作品
上に挙げたほかに有名な作品を紹介したいと思います。
まず、言うまでもなくみんな知っているであろう玉虫厨子です。
その名の通りタマムシの羽が装飾に使われているためこう呼ばれています。タマムシは虹色に輝くきれいな羽を持つ昆虫で、東南アジアのどこかの国では今でもアクセサリーなどに使われているようです。
厨子というのは仏像を納めて安置する、仏像の家のようなものです。(仏教版シルバニアファミリーみたいなもんです。)
厨子の側面には「捨身飼虎図」というのが描かれています。
これは釈迦が前世に王子であったときに、森で飢えに苦しむ虎の親子を見て自身の身を虎に与えて救ったという伝説に基づいた作品です。
ぜひ写真を資料集などでご覧ください。
つづいて、天寿国繍帳というものです。
これは聖徳太子の死後に、妃であった橘大郎女(たちばなのいらつめ)という人が発案して作られたタペストリーのようなものです。
日本最古の刺繍ともいわれています。
天寿国というのは天国のことで、聖徳太子が亡くなったのちに、橘大郎女が聖徳太子の逝ったとされる天寿国を見たいということで、絵をかかせ、それを刺繍させて作られました。
作品の中には聖徳太子の「世間虚仮 唯仏是真」という言葉が刺繍されています。これは世の中は仮の世で、仏だけがまことのものであるという意味で、仏教の教えに基づいた政策を行っていた聖徳太子らしい言葉だといえます。
これもぜひ、資料集などでご覧ください。
今回は飛鳥文化の解説でしたが、大変申し訳ないことに作品の画像が著作権の関係で掲載することができませんでした。おそらく今後の記事も画像を載せるのは困難なので随時イラストなどで紹介したいと思います。
文化史は目で見て楽しみ、理解するものです。ぜひ画像検索や資料集、博物館のサイトなどを活用して、作品をご自分の目でご覧いただきたいと思います。