(┘゜∀゜)┘日本史わっしょい└(゜∀゜└)

日本史に関する解説を投稿していきます。

縄文人たち

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縄文っていつから?

縄文時代は約1万年前、完新世の始まりとともに始まります(”更新”して”完”成と覚えるとわかりやすいです。)

完新世になると氷河期が終わり、気温が上昇しました。それにともなって氷河が溶けて海面も上昇しました。これを海進と言います。これによりリアス海岸や入り江が多くでき、漁をするようになりました。このため、貝塚は当時入り江であった現在の内陸部で見つかることが多いです。地殻変動などにより日本列島も今に近い形状になり、気候も現在とほぼ同じ感じになりました。

縄文文化の特徴

縄文文化の特徴は大きく分けて3つあります。

磨製石器

1つ目は磨製石器磨製石器はそれまでの打製石器とは違い石を磨いて加工しました。新しい石器を使い始めたということで、1万年前からを新石器時代ともいいます。

しかし磨製石器を使うから打製石器は使わなくなったわけではなく、縄文時代以降は両用することになります。(Nintendo Switchを手に入れてからもWii Uで遊ぶみたいな感じです。)

矢じりの石鏃、皮をはぐナイフの石匙などは打製石器です。打ち砕くことで黒曜石を鋭く加工することができます。石斧(斧と書いても木を切るのではなく土を掘る用です。)やすり鉢などは磨製石器です。写真で見るとわかりやすいかと思います。石器のほかにも、骨や角から釣り針やモリなども作っていたようです。これを骨角器といいます。

弓矢🏹

2つ目は弓矢。それまでの狩りとは一転して、飛び道具が使えるようになりました。これにより素早い動物も狩れるようになりました。

打製石器でできた矢じりはアスファルトを使って棒につけて矢として使いました。(アスファルト秋田県のほうで採れたようです。)

ほかにも網を使った漁も行われていたり、1本の木で作った丸木舟で海を渡っていたり、活動の幅が大きくひろがっていたようです。ちなみに漆の技術も縄文時代にはあったそうです。

縄文土器

そして3つ目は縄文土器です。縄文土器は大きく分けて草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6つの時期に分けられます。

縄文土器といっても草創期のころは模様のない無文土器や細い線のついた隆起線文土器など、縄の模様はついていませんでした。まだ実験段階ということです。

縄の文様は早期以降から増えていき、有名な火炎土器は中期に作られました。晩期になると急須形の亀ヶ岡土器のような手の込んだものも作られました。

縄文人の食事

クリ、クルミ、トチノミ、イモ類、豆類などや動物の肉を食べていました。ここまでは旧石器時代から変わっていません。

しかし、土器の発明により食べ物の煮炊きができるようになり、料理のレパートリーも増えました。土器を使ってドングリやトチノミなどはあく抜きをして食べやすくしたり、余ったものを貯蔵したりしました。

さらに、まだ本格的な農耕とはいきませんが、クリ林を管理したり、ヤマイモの増殖などもしていたようです。

縄文人のお住まい

家はみんな大好き竪穴住居に住んでいました。この生活は奈良時代まで続きます。縄文人は一段下がった半地下の空間で暮らし、中には料理をする炉を置いていました。

家は水の確保ができる水辺に近い場所に、数軒の規模で作られました。

三内丸山遺跡では大規模な集落で1,500年にわたって平和な暮らしをしていて、ほかの地域との交易もしていたようです。北海道で採れた黒曜石なども出土しています。

縄文人の習慣

縄文時代のマスコットといえば土偶ですね。この土偶は女性を模したものが多く、五穀豊穣や子孫繁栄を願って作られたと考えられています。

また、縄文時代にはすべての自然に精霊が宿ると考えたアニミズムという思想がありました。この思想は日本の神道に通じるところがあります。(神道八百万の神々を信仰します。)

ほかにも、これに関連して、死んだ人が生き返って悪いことをするという考えから遺体の関節という関節を折り曲げて埋葬する屈葬が行われていました。

このような習慣は時代を経ていくうちに大きく変わっていき、弥生時代にはまた特徴的な埋葬の仕方や祭祀が行われます。

ということで次は弥生時代を見ていきたいと思います。